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IBM 100年の軌跡
 

アクセシビリティを考慮した職場環境の実現

 

1980年、当時ニューヨーク市でIBMの契約管理を担当していた25歳のジム・シノッチは、ビジネスか政治の道でキャリアを積もうという意欲に燃えていました。しかし、ボディー・サーフィン中に首の骨を折り、四肢まひの障がいを負ってしまったのです。このとき彼は、自分はもう二度と働くことはないだろう、と思いました。ところが1983年、IBMの複数のマネージャーが彼に職場復帰するよう要請してきました。これは彼にとって大変な驚きでした。自信のなかったシノッチは当初、申し出を断りましたが、彼の回復を見守ってきた上司は、ニューヨークのホワイト・プレーンズのオフィスで自分のできる仕事を選び、職場に復帰するよう強く勧めました。「マネージャーたちは断ることも、辞めることも許してくれませんでした」とシノッチは当時のことを振り返ります。結局、1983年に車椅子で職場に戻ることを決心したシノッチは、勤務日数を週1日からフルタイムへと徐々に延ばしていきました。彼は2011年現在、ニューヨーク本社でマーケティングおよびコミュニケーション担当のエグゼクティブとして働いています。

けがをした当時、シノッチは知らなかったのですが、IBMはそれ以前から、企業としての先駆者として、障がいのある人々のためのアクセシビリティに長く取り組んでいたのです。創立当初から、点字プリンターやタイプライターを始めとする、障がい者の持つ能力を発揮させるための製品を設計していました。また、働きやすい職場の実現を目指す人事方針の導入においても主導的な役割を果たしていました。国連のG3ict(Global Initiative for Inclusive Information and Communications Technologies)事務局長(2011年当時)であるアレックス・レブロイス氏は以下のように述べています。「IBMは一世紀近くにわたって、障がいのある人々のアクセシビリティを推進してきました。何よりも素晴らしいのはIBM社内での人事方針の実績です。この分野では、自ら模範を示さなければお客様企業を説得することはできません」

IBMは、アクセシビリティがアメリカ障がい者法(Americans with Disabilities Act)を背景とする米国の国法であり、またあらゆる企業がアクセシビリティ機能を多くの製品やサービスに組み込むという今日の社会風土の醸成に貢献してきました。「ユニバーサル・デザイン」と呼ばれる新しい考え方は、障がいのある人々専用に何かを作るのではなく、最初から幅広い人々のニーズや能力を考慮するように製品を考案・設計すべきだというものです。IBMはこのような機能を自社ソフトウェアに組み込んでいます。IBM Human Ability and Accessibility Centerのディレクターであるフランセス・W・ウエスト は、「『それは障がいのある人々の問題でなく、私たち全員の問題だ』というのが、IBMのキャッチフレーズです」と述べています。

アクセシビリティに対するこのような強い関心は、ワトソン家の事情、しかも個人的な事情に端を発しています。トーマス・J・ワトソンSr.は、自分の若い頃に人々が助けてくれたように、各自の潜在能力をフルに発揮できるようにIBM社員を手助けすることを信条としていました。IBMが初めて障がい者を雇用したのは、ワトソンが入社した1914年でした。アメリカ障がい者法が制定される76年も前のことです。1956年に父の後を継いで最高経営責任者となったトーマス・J・ワトソンJr.は、青年期にうつ病と学習障がいに苦しんだ経験があったため、「障がいは克服できる」ことを分かっていました。

IBMは1942年に大きな一歩を踏み出しました。障がいのある人々の雇用および訓練を目的としたプログラム立案のために、視覚障がいのある心理学者、マイケル・スパ博士を雇った年です。スパはIBMに在職した37年間に、障がいのある社員に対する配慮を制度化しました。IBMは1943年に訓練センターをニューヨーク市内に開設し、1945年にはニューヨーク州ビンガムトンで保護雇用を行う「シェルタード・アンド・ブラインド・ワークショップ」に仕事を下請けに出し、1947年には会社の福利厚生制度に障がい補償を追加しました。「適職についていれば、ハンディキャップはない」というのがスパのモットーでした。

1990年代になると、当時の最高経営者であるルイス・V・ガースナーは8つの役員による作業部会を作り、女性、マイノリティー、障がいのある人々に対するIBMの方針の改善を任せました。アクセシビリティおよび障がいのある人々を担当した作業部会は、革新的な方針を多数打ち出しました。中央基金を設置するというやり方により、今ではIBMのマネージャーは現地で受け入れ費用を負担することなく、障がいのある人々を世界中で雇用できるようになりました。

インターネットの登場に後押しされ、IBM社員の間には、「障がいのある人々にも、ほかの人々と同じ情報やコミュニケーションへのアクセスを提供しよう」という新しい技術革新の波が生まれました。IBMフェローであり、視覚障がい者でもある浅川智恵子は1998年、自分が開発したIBMホームページ・リーダーを使って、視覚によらないアクセスが可能なウェブサイトを開設しました。ホームページ・リーダーはテキストを音声に変換し、視覚障がい者がウェブをナビゲートできるようにするソフトウェアです。彼女は2011年現在、視覚障がい者、高齢者、読み書きのできない人々がより簡単にウェブ上で学習したり、ビジネスを行ったりできるようにする、IBMのSpoken Webテクノロジーの改善に尽力しています。「あらゆる人をITの世界に招待する方法を見つけ出す必要があるのです」と語っています。

自社プロセスと自社製品の全ポートフォリオにアクセシビリティを組み込み、新たなイノベーションを推進するため、IBMは2000年、IBMリサーチ内にIBM Human Ability and Accessibility Centerを設立しました。総勢40名のこのセンターは、IBM製品が国の定めたアクセシビリティに関する要件をすべて満たせるよう、コンプライアンスにかかわる施策の指揮を取り、IBMが買収した企業についてはIBMのアクセシビリティ方針を迅速に遵守できるようサポートし、お客様やIBMのビジネス・パートナーと連携して、アクセシビリティに対する徹底した方針、プロセス、およびソリューションの導入を支援しています。同センターはIBMの人事およびCIO担当部門と協力してAccessible Workplace Connectionポータルを立ち上げました。このポータルの活用により、マネージャーは、障がいのあるIBM社員を受け入れたり、同僚と対等の立場で働けるように用意されたツールや方針について障がいのある人々に教えたりすることが容易にできるようになりました。

(以下は、いずれも2011年当時の記述です) 障がいのある人々が直面する課題はIBM社内にも、世の中全体にも、まだ多く残っています。米国では一般に、障がい者の失業率は全体の失業率よりも50%ほど高くなっています。求職をしていない障がい者の方も多いので、この数値にはカウントされていません。障がい者として特定されているIBM社員の割合は1桁台前半です。しかし、車椅子利用者でもあり、マーケティングおよびコミュニケーション部門で管理職に就いているシノッチは、状況は進展していると考えています。長年にわたり、障がいのある人々に関する考え方が変化し続け、IBM社員のあり方を定義するのに一役買うほどまでになりました。シノッチは、「IBMのダイバーシティー(多様性)戦略は、IBMの社員戦略になりました。我々は、社員が「歓迎されている、評価されている」と感じられる環境を作ってきました。成功を妨げる壁を取り払って、社員がお客様とIBMの両方に最高レベルの力で貢献できるようにしています」と語っています。